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Music Chan ミュージックちゃん

Music Chan ミュージックちゃん

私のゲイ体験!!

ゲイとストレート
ここロスには本当にゲイの人が多くて、とくに音楽業界はそのたまり場ともいえます。ちなみにゲイでない人のことを「ストレート」といいます。私はストレートです。が、親友のメアリーいわく「一度女の子と経験したらもう2度と男に戻れないよ。」と言われて、「へぇ、そんなにいいものなのかぁ。」とちょっと考えさせられてしまった、という危ない経験付きです。

メアリーとの出会い
彼女とは、2000年に一緒にPINK(ポップシンガー)と仕事をした時に初めて出会いました。PINKがテレビのショーをするのに女の子ばっかりのバンドをつくるっていうことで、キーボードを弾いてほしい、と彼女から電話がありました。あまりにも急な仕事で他にもう仕事がはいっていた私は、最初は「スケジュールの都合がつかない」という理由で断ったのに、彼女のねばり強いことといったら、「わかった、でもとっても残念だわ。」といったのであきらめてくれたと思っていたら、1時間後にまた電話してきて、「やっぱりあなたしかいないのよ。これは運命なのよ」と言う。結局私のほうが根負けして彼女といっしょに仕事でニューヨークへ。バンド自体はドラム、ベース、ギター、キーボード2人、バックコーラスのこが2人、の7人。ロスで4日間リハーサルをしてから、いざ、ニューヨークへ、ホテルについてみると、部屋は2人1部屋ということがわかり、だれとだれが組むかというのでひともんちゃく。結局わたしはメアリーと一緒の部屋になった。その時点では彼女がゲイだってことを知らない私。夜ホテルの部屋のベッドにいっしょに横になって話をしていたら、急に「ねぇ、わたしレズなのよ。もちろん知ってたわよねぇ。」とニコニコして話してくる。「ゲゲっ、まさかわたしのこと襲わないよね」とビビってたら、それを察したのか、「あぁ、心配しないで、わたしおっぱいの大きい子が好きなの」だって。「悪かったわねぇ、ペチャパイで。。。」

その後
ツアーの後も、なにかと一緒に仕事をしてそのまま今では親友になってしまった。先日もリハーサルで、他の女の子達が、「メアリーってどうしてそんなに肌きれいなの。」と聞いたら、「わたしは女の子としか寝ないからっ。」ときっぱり言われてみんな目を丸くしていた。でもオープンなのがいいみたい。彼女の場合は男役というか、とにかく3年間で一度もスカートをはいたのを見たことがない。あとバッティングセンターやボーリングへいくとすごくうまくて、感動してしまう。困るのがわたしの友達で好みの子を見つけられたとき、「彼女はストーレートだから、だめよ」っていっても例のねばり強さでこられるのでちょっと参ってしまう。そのメアリーも先日パートナーを見つけて今はルンルンの毎日。私はこれがしばらく続きますようにと願ってる。

ロスで活躍する日本人ミュージシャン その2

今回は私の友人のタケダ・ケイコさんにインタビューしました。
ケイコさんは長年日本のブルーノートというライブハウスでサウンドレディとして活躍した後、ニューヨーク進出を果たし、現在は世界中を仕事で飛び回っています。以下がインタビューです。

質問1、
今まで、仕事した中で一番感動したアーティストは誰ですか?

沢山いすぎて1人に絞るのは大変難しいのですが、今は亡きカール・アンダーソンかな?言葉では言い表せないようなメッセージが伝わって来たし会場の皆が彼のパフォーマンスに注目し、誰1人と彼から目を離す事が出来なかった事を覚えています。
ジェームス・イングラムやロバータ・フラックも感動しましたね。

質問2、
サウンドエンジニアとして一番やりがいがあるなーと思った時はいつですか?

やっぱり、アーティストと共に良い公演が出来、お客さんから「良かったよ」とか色々と声をかけてもらったり、満足した顔を見た時。

質問3
日本、またアメリカで音響的にお気に入りのコンサートホール、ライブハウスはどこですか

まだまだ、行ったことのない場所も多いのですが、今ままでは Cerritos の Performing Art Center がすきです。
また、ウィーンのオペラハウスや、 NY のカーネギ・ホールなどはアコーステッィクの音が最高ですね。

質問4、
日本人としてここアメリカで仕事していく上でビザの問題はどうやってクリアしましたか?

良い弁護士を見つけ、こつこつと資料集めしました。
また、色々なビザがある中でどれが一番自分に合うのか見分ける事が大切です。

質問5、
女性/日本人だということだけで、いやな経験をしたことがありますか? または得な点はありますか?

女性のエンジニアっているのですが、まだまだ男性ほど多くはなく、現場とかにクルーチームで行くと私がここにいれるのはマーネジャーやアーテイストできている(寝ている)からと思っているやつも少なくありません。その場合は自分の実力を見せつけてやりますけどね。
また得な点は、気が荒いアーティスととかにもあまり怒鳴られたりしないことかな。

質問6
日本でサウンドエンジニアをめざす若者にプロとしてやってくためのアドバイスをお願いします。

日本では下積み生活とか長いかもしれませんが、それも経験の一つと思って頑張って下さい。

初めての黒人バンド その2

私が初めてR&Bを演奏する黒人バンドにはいったのが、1996年。その頃は私もロスではかけだしだったせいもあるけど、仕事のギャラは本当に低かった。今から考えるとよくあんなギャラで毎週末仕事してたよな。。このバンドはロスから1時間半ほど離れたベンチュラという町でよく仕事をしたのだが、毎週金曜日には5時頃自宅を出て7時過ぎにはそのライブハウスに着いてたかなぁ〜。で、ショーは9時スタート。45分、弾いて15分休憩というのを繰り返して、夜中の1時まで。全部で4セットあった。そのあとはバンドリーダーのマイクを手伝ってみんなでサウンドシステムを片付け、結局家に帰るのが夜中の4時近くになった。翌日は土曜日なので、その当時4歳だった息子に朝早く、目をこじあけられ、結局一日中ボーっとした状態で過ごし、またまた夜は仕事でベンチュラに戻るという結構過酷な生活をしていた。なので、元旦那は週末が休みでも私がいつも仕事で出てしまい、土曜の昼間は起きててもボーっとしているので、結局これが少なからず、離婚の原因になったといっても過言ではない。ギャラはその当時で一晩$75。日本円で1万円弱。

その黒人バンド(名前はP.Y.N.)の仕事でフィリピンに3ヶ月行くことになった。とりあえず、フィリピンに行く途中に日本へ寄って息子を両親に引き渡し、マニラへ向かった。マニラでも超一流のシャングリラ・ホテルの地下のライブハウスで週6晩演奏するのが仕事だった。P.Y.N.がこの仕事をゲットできたのは実は女性シンガーでとびきりかわいいエリカちゃんがプロモビデオにのっていたからなのに、エリカちゃんはボーイフレンドから行ったらだめ、と言われて急きょ別のシンガー(ラトニア)を連れて行くことになった。でもリーダーのマイクはプロモーターに文句言われるのがいやで、エリカちゃんが行けなくなったことを隠していたから大変。着いてからホテル側が「このデブのシンガーはなんだ!!」「話がちがうじゃないかっ!」「バネッサ・ウィリアムスみたいなかわいこちゃんが来ると思ったのに、ウーピー・ゴールドバーグを連れてくるなんて!とかんかんにおこり、もう少しで飛行機にのせられてアメリカへ帰されるか、というところを、なんとかラトニアの歌唱力を認めてもらってクリア。

その後、3ヶ月間そのホテルで生活した。楽しかったのは、別のホテルで演奏していたカナダのバンドの人たちと親しくなり、そのバンドのメンバーのみんなといろいろ情報交換したりできたことだ。そのバンドのキーボードの子は若いけど、うまい。彼からいろんなことを教わった。やっぱり、私も今から比べればまだまだ経験不足だったので、アレンジのことや、音選びのことなんかとっても勉強になった。それ意外の楽しみといえば、やっぱり食べ放題のホテルの食事かな??マニラでは1番といわれるホテルだけあって何を頼んでもおいしかった。お気に入りはナシ・ゴレング(インドネシアの料理でちょっとスパイシー)とやっぱりすしかな。。あと部屋には毎日新鮮なマンゴーをルームサービルの時にもらえてそれをガブガブ食べていた。

3ヶ月という長期にわたって家を離れてつらかったのは、やっぱり息子に会えなかったこと。モールなどで同じ年頃の子を見る度についつい涙が出てきて困った。あと、3ヶ月という長期にわたってホテルの部屋をシンガーのラトニアとシェアしなくちゃいけなかったのには困った。彼女はお風呂のあとベビーオイルを体中にぬって部屋中を裸で歩き回るという変なくせがあってその度にバスルームの床は油でギトギト、でもやっぱりいろいろお互い様だ、と思って文句も言わずに黙ってた。

と、まぁ初めてのツアーも無事終わって日本へ息子を迎えにいったら彼はすっかり金沢弁をマスターして英語を忘れてしまっていた。子供の吸収力ってほんとにすごい。そんな彼も今は高校生。今度は彼がツアーに出る番だな。。。

クレイジーロックンローラー

出会いはいろんなところにあるもので、ロバートに会ったのはギターセンターロスで有名な楽器屋さん)だった。レジのところにいたら声をかけてきて「キーボード弾くの?」というところから始まって結局彼のギグで演奏することになった。彼の音楽ははっきりいって今まで仕事した中になかった斬新な音楽で、まぁ一口に言えばロックになるわけだが昔キャプテン・ビーフハートのドラマーだった彼のニューアルバムの曲を全部覚えることになった。

CDと同じ音色をキーボードから選ぶのも一つだが、CDで演奏されているソロをそのままコピーして弾けっ、と言われてえんえんと続くソロを全部楽譜に落として弾いたのを覚えている。ある曲では「自由にソロしなさい」と言われてはりきって弾くと、「だめだめ。そんなきちんとしたソロじゃなくて、もっときちがいのように弾けないの?」と言われ、何度やり直してもだめ。そのうち「えぇいっ、これでもか!!」とひじでバンバンキーボードを弾いたら、「そうそうっ、それだよ!!なんで最初からそれができなかったの?」という調子。

さてギグの会場はスペースランド。当日は、ロバート調達の衣装を着た。黄緑のタンクトップに真っ赤の超ミニスカート、下は黄緑と黄色のスゴイハイヒールのブーツで極めつけはピッグテール(髪を2つに結んだ)。なんじゃこりゃー、というカッコ。うまく歩けなくてサウンドチェックの時にキックドラムがどんどんしてる横で一生懸命歩く練習。しかし、お金のためとはいえここまでやるかなぁ。と自分自身に感慨無量。

ショーも無事進みファイヤーという曲になり、CDと同じソロを弾き始めたとたん、わたしの横にあったモニタースピーカーから煙が出てきた。でも、曲をやめるわけにはいかない。ので、引き続けていたら今度は火がボーボーと出てきた。これはあとで撮ったビデオを見たのだが、この時点でやめればいいのに、顔をひきつらせてソロを弾き続けている私。で、結局その火がついたスピーカーはわたしのソロの途中で係りの人がステージからどっか別のところへ持っていってしまった。その間ソローだけは決して止めないで弾きつづけた私。このプロ根性には自分自身に拍手!!

ロバートのギグで楽しかったのは、ロバートの彼女のようこさんといっしょに演奏できたこと。ようこさんはとってもひたむきでとてもうまく(キーボード)、おまけに歌もうまかった。彼女といっしょに演奏できたのは今でもいい思い出だ。ということで、私のクレイジーな体験第2弾。

スタジオセッションについて〜その2

Mixing board
今までした数々のスタジオセッションの中で、ジャンルを仕分けしてみると一番多いのはやっぱりR&B/ファンク、次がロック、数少ないけどクラシックていうものあった。キーボードプレーヤーとしては、まず最初に電話があった時に以下の質問をする。
1)オリジナル曲か、カバー曲か。
カバー曲をレコーディングという場合は、あらかじめその曲を聴いておく。黒人プロデューサーの場合は90%楽譜がないと思ったほうがいい。その場合は自分で楽譜を用意していくか、またはその場でさっとコード譜だけ書く。オリジナル曲の場合は、もしデモのレコーディングがある場合はあらかじめそれを聴いてこれまたコード譜を用意していく。それがない場合は行き当たりばったりになってしまうが、最悪シンガーの人が歌うメロディーを聴きながらコードを探していく、という状況になる。この場合シンガーの人が音痴ということもありうるが、そこで「多分こういうことを歌いたいんじゃないかな。」と推測して曲を作っていく場合もある。と、なると結局自分も作曲の権利をもらえることになる。この辺はあとでもめたくないので、こういう状況になりそうな場合はその点クリアにしておいたほうがいい。と、いってもあんまり辺な曲で権利なんかいらないよーっ。という時も実はあるのだ。

2)スタジオにある機材/楽器
スタジオにどういう機材がありますか?というのが次の質問です。が、ほとんどのスタジオにキーボードがあるので自分のを使わない場合が多いかな。でも実際こだわりだすと、キーボードの高さやちゃんとしたいすがあるか、とか楽譜立てがあるか、とか細かいことになるので、いつも車には自分の機材を積んである。で、実際スタジオに着いてから何があるかを見て足りない物を車から持ってくる場合が多い。

3)入りの時間について
もしセッションがライブセッションでドラマーとかほかのプレーヤーと一緒に演奏する場合にはもちろん入りの時間を聞きます。まぁどっちにしても入りの時間は聞くけど、今までの経験からいうと、ドラムのマイキングなどで待たされることがほとんど。ドラマーより1時間ぐらい遅く到着するとちょうどいい、と思います。

4)お気に入りにスタジオは?
今まで、レコーディングした中で一番好きなのは、キャッスルオークというスタジオです。ロスのカラバサスという町にあってリーリトナー、チャカ・カーンなど大物のアーティストがいつもレコーディングしています。ここにあるピアノがヤマハのC7でこれがまたいい音なのです。ここは広いスタジオなのでゴスペルのコーラス隊や、オーケストラのレコーディングもオーケーです。エンジニアもみんなうまい人ばかりです。

ということで、また第3弾を楽しみにしていて下さい。

ロスで活躍する日本人ミュージシャン その1

ロスで活躍している日本人のミュージシャンを紹介します。今回は女性パワーということで、女性ミュージシャンを紹介します。
名前はYUKO TAMURA。彼女も私と同じキーボード奏者で、なにしろ私と彼女は誕生日もいっしょという運命的な友人です。出会いはかれこれ10年ほど前。それ以来ツインキーボードの仕事があるとよく一緒に仕事しています。ここ数年彼女はグラディス・ナイトとツアーでいろいろ飛び回ってます。またイランの美空ひばりかという大御所シンガーのGoogooshともツアーで世界中で演奏しています。彼女も私とにてR&B系のアーティストと仕事をすることが多いようですが、彼女にインタビューをしてみましたので読んでみてください。
質問1
今まで演奏したアーティストの中で一番感動したのは誰ですか?

一人に絞るのはむずかしいです。 アレサフランクリン、グラディスナイト、スティービーワンダーなどです。

質問2    
アメリカに初めてきたのはいつ?その頃の音楽シーンは今と比べてかな
り違っていましたか?
   
80年代初期です バブルがはじける前でもっと仕事がありました。ア
メリカも日本もとても景気が良かったときです。今のようにティーンエージャ
ーのルックスだけで歌は2の次のようなアーティストは見かけなかった。実力のあ
るアーティストばかりでした。

質問3
日本人としてアメリカ人の中で仕事をしていてつらかったことは?

辛かったことはありませんが やはり文化の違いを感じてイラついたり
さみしくなったりすることは 今でもあります。

質問4
ビザの問題はどうクリアしましたか?

昔は今ほど 厳しくなかったのですぐグリーンカード(永住権)が取れま
した。

質問5
日本で音楽を勉強している人になにかアドバイスがあればお願いします。

いろんなCDを聞いて練習する。自分の好きな音楽の本場に行くのが一番
よく理解できる道だと思います。

質問6
ゆうこにとってロスでプロでやっていく上で大切なポイントを3つおねがいし
ます。
   
1)いろんなジャンルの音楽を演奏できること
2)スムースな人間関係(とても大切)、嫌われたら仕事は来ない。
3)どの仕事も自分のベストを尽くす

といことで、やはり人間関係がとっても大切な世界ですね。次回はサウンドエンジニアのケイコさんにインタビューしてみます!