私が初めてR&Bを演奏する黒人バンドにはいったのが、1996年。その頃は私もロスではかけだしだったせいもあるけど、仕事のギャラは本当に低かった。今から考えるとよくあんなギャラで毎週末仕事してたよな。。このバンドはロスから1時間半ほど離れたベンチュラという町でよく仕事をしたのだが、毎週金曜日には5時頃自宅を出て7時過ぎにはそのライブハウスに着いてたかなぁ〜。で、ショーは9時スタート。45分、弾いて15分休憩というのを繰り返して、夜中の1時まで。全部で4セットあった。そのあとはバンドリーダーのマイクを手伝ってみんなでサウンドシステムを片付け、結局家に帰るのが夜中の4時近くになった。翌日は土曜日なので、その当時4歳だった息子に朝早く、目をこじあけられ、結局一日中ボーっとした状態で過ごし、またまた夜は仕事でベンチュラに戻るという結構過酷な生活をしていた。なので、元旦那は週末が休みでも私がいつも仕事で出てしまい、土曜の昼間は起きててもボーっとしているので、結局これが少なからず、離婚の原因になったといっても過言ではない。ギャラはその当時で一晩$75。日本円で1万円弱。
その黒人バンド(名前はP.Y.N.)の仕事でフィリピンに3ヶ月行くことになった。とりあえず、フィリピンに行く途中に日本へ寄って息子を両親に引き渡し、マニラへ向かった。マニラでも超一流のシャングリラ・ホテルの地下のライブハウスで週6晩演奏するのが仕事だった。P.Y.N.がこの仕事をゲットできたのは実は女性シンガーでとびきりかわいいエリカちゃんがプロモビデオにのっていたからなのに、エリカちゃんはボーイフレンドから行ったらだめ、と言われて急きょ別のシンガー(ラトニア)を連れて行くことになった。でもリーダーのマイクはプロモーターに文句言われるのがいやで、エリカちゃんが行けなくなったことを隠していたから大変。着いてからホテル側が「このデブのシンガーはなんだ!!」「話がちがうじゃないかっ!」「バネッサ・ウィリアムスみたいなかわいこちゃんが来ると思ったのに、ウーピー・ゴールドバーグを連れてくるなんて!とかんかんにおこり、もう少しで飛行機にのせられてアメリカへ帰されるか、というところを、なんとかラトニアの歌唱力を認めてもらってクリア。
その後、3ヶ月間そのホテルで生活した。楽しかったのは、別のホテルで演奏していたカナダのバンドの人たちと親しくなり、そのバンドのメンバーのみんなといろいろ情報交換したりできたことだ。そのバンドのキーボードの子は若いけど、うまい。彼からいろんなことを教わった。やっぱり、私も今から比べればまだまだ経験不足だったので、アレンジのことや、音選びのことなんかとっても勉強になった。それ意外の楽しみといえば、やっぱり食べ放題のホテルの食事かな??マニラでは1番といわれるホテルだけあって何を頼んでもおいしかった。お気に入りはナシ・ゴレング(インドネシアの料理でちょっとスパイシー)とやっぱりすしかな。。あと部屋には毎日新鮮なマンゴーをルームサービルの時にもらえてそれをガブガブ食べていた。
3ヶ月という長期にわたって家を離れてつらかったのは、やっぱり息子に会えなかったこと。モールなどで同じ年頃の子を見る度についつい涙が出てきて困った。あと、3ヶ月という長期にわたってホテルの部屋をシンガーのラトニアとシェアしなくちゃいけなかったのには困った。彼女はお風呂のあとベビーオイルを体中にぬって部屋中を裸で歩き回るという変なくせがあってその度にバスルームの床は油でギトギト、でもやっぱりいろいろお互い様だ、と思って文句も言わずに黙ってた。
と、まぁ初めてのツアーも無事終わって日本へ息子を迎えにいったら彼はすっかり金沢弁をマスターして英語を忘れてしまっていた。子供の吸収力ってほんとにすごい。そんな彼も今は高校生。今度は彼がツアーに出る番だな。。。









